「Naito's」さんが創業したのは半世紀以上前。東京の郊外、横田基地と向き合い16号線沿いにあったお店(写真は1960年頃)は今時のレストランかと思えるようなお洒落な構え。当時バイクで前を通りかかる度に、速度を落として "チラ見"し「何の商いか?」と、気になるお店でした。
「Naito's」さんは、ストーンウェアの「食器」と、陶磁器をベースにした「ランプスタンド」の販売をしていた個人商店です。オーナーは内藤伸さん。いつもパリっとしたスーツを身に着け、物腰の柔らかいダンディな方でした。

創業から十数年後、ランプベースの販売を基地向けから国内に切り替えるため、都内にも店舗を構えました。お店は青山の南町通り(今は通称骨董通り)、小原流会館の前にありました。未だ近くに魚屋があったり、「菊屋」(和菓子屋)さんの店先に割烹着を着た奥さんが立っていた頃のことです。




青山のお店は和食器も扱っていて、ご近所の年配のご婦人が普段着でやって来て、箸置きや飯碗を買っていくようなお店でした。平屋の商店がビルに建て替わり、バブル期の頃には舞台装置のように街の様相が一変しましたが、「Naito's」さんは木造二階建てのまま。手頃な価格の作家さんの一品物を扱うスタイルも変わりませんでした。
ある日、用事でお店に立ち寄ると、お客さんが一人、お店のMさんと親し気に話し込んでいる。帰られてから、「何処かでお見かけしたような?」と尋ねると、向田邦子さんでした。(向田さんはたまたまご近所にお住まいの方でした)

遠方から来られる贔屓のお客さんもだんだんと増え、お店の経営は順調でした。




内藤さんとは何度か会食する機会がありましたが、ある時、いつになく熱心に建築雑誌に目を通しておられる・・。
私は学生時代に専攻が建築だったので脇から覗いていると、店舗のデザインはこの中でどれが面白いだろうか?と雑誌を手渡されました。
付箋が挟まれた頁には米国の古いドラックストアや欧州の家具店の店舗写真が載っていました。中に、修道院を改装したデザイン会社のオフィスの写真がありましたので、「これは面白いですね」と指差すと、
やはりそうですか、と、何か考えている様子。
暫くして、内藤さんは渡米し、数週間ほど滞在したあと戻って来られました。 
戻られて二三日後、現地で撮った写真を渡されました。旅行の記念写真と思って見ると、全て煉瓦作りの古い「倉庫」の写真。
「何ですか、これ?」と怪訝顔で尋ねると、シカゴにある使われなくなった製氷工場とのこと。
「ここをランプスタンドを販売する店舗にします」
と事も無げにおっしゃる。
この時、内藤さんが米国に店舗を作るプランを持っていたことを、私は初めて知りました。



この方の先取の意欲、またセンスの良さといったものを思い返し、今になって感心することが度々あります。
独創的、良しとなれば即実行。しかし、走り過ぎたと思えば、時として広く世間に意見を問う堅実な一面。
「君は私から見ると常識人。良い具合の凡人です。その選り抜き凡人の君が、面白いと言ったので、これなら大丈夫と思いました」
内藤さんの顔は半分笑っておられる。
名誉と思って、良いのか悪いのか、よく分からない話ですが、私も思わず苦笑い・・。

残念なのは、内藤さんは還暦を待たずに早逝され、このプランも実現できずに終わってしまったことです。未だ認知度の低かったランプベースの紹介のため内覧会を主催し、大手電器メーカーからもそろそろと引き合いくるようなり、これからという時期でした。
短い期間でしたがお店に勤務し、退職後、関西の産地を紹介され陶器作りの修行に就くまで、事あるごと何かとお世話に成りました。
人生の良き先輩として、私にとっても早すぎる訣別でした。

この何十年かの間に照明は電球から蛍光灯、そして蛍光灯からLEDにシフトしようとしています。
ランプベースは、 本体の陶磁器のほか、シルクのシェード、真鍮のアームやパイプ、木製の台座など材質の異なる部品が必要です。部品を作る方には職人気質の方もいて、仕事を受けて貰うため一升瓶を下げてお願いに上がったようなこともあります。
大手の電気メーカーは量産が難しいと判断したのか撤退。家庭に広く普及するまでにはなかなか至らない。

が、このシルクを通した柔らかい光は捨てがたい、とおっしゃる方も居ります。
今でも時おり、内藤さんなら次にどんなアイデアを打つだろうか?、と考えることがあります。
"選り抜き凡人"の私は、いま一歩届きません。








inserted by FC2 system